追悼のことば

 本日、ここ仙台国際センターにおいて、ご門主様・お裏方様・新門様にご出向いただき、本山主催のもと東北教区東日本大震災現地追悼法要をお勤めいただきましたこと、厚く御礼申し上げます。

 また、このたびの震災によって尊いいのちを失われた方々とご遺族のみなさまに、心から哀悼の意を表します。

 

 私は名取市の沿岸部から2キロくらいに位置する、小塚原地区に住んでおりました。家族は私達夫婦に子供二人、80歳の母と障害のある姉の6人家族で、家 の周りには畑とビニールハウスが連なる静かな土地でありました。母は畑仕事を愛し、その思いを受けて息子は農業高校に進み、毎朝通学前には母の手伝いで耕 耘機を動かす姿が見られていました。季節毎にうちで採れた野菜が食卓を彩り、夕べには茶の間に皆が集う家庭でありました。母は孫たちを愛し、その愛情を受 けた子供達は障害のある姉を常に労り、そんな小さな温かさのいっぱい詰まった家庭でした。

 しかし、3月11日、その生活は一瞬にして奪われてしまいました。

 

 3月11日、午後2時46分、私は仕事の帰りで、運転中でありました。突然地面が轟音を響かせて強く揺れ出しました。慌ててエンジンを切り、外へ出よう としてもあまりの揺れの強さにドアを開けることすら出来ませんでした。収まるまで待とうとしても、揺れはさらに激しくなり、一向に収まる様子を感じません でした。3分にも及ぶ長く激しい揺れのあと、家にいる母と姉と息子のことが心配になり、家に向けて夢中でアクセルを踏みました。

 

 家に着くと、息子が壊れた作業場や割れた家財の片づけをしている姿があり、“ほっ”としました。母も姉も無事で一安心しました。家は壊れたものが散乱し ているため、今晩はビニールハウスで過ごそうと座布団やテーブルなどを運び、息子は姉の手を引いてビニールハウスに避難させました。その後、私と息子は作 業場や玄関の片づけを、母は家の中の方づけをしていました。どれくらい時間がたったでしょうか、突然、海岸の方から鳥の群れがこちらに向かって一斉に飛ん でくるのが見え、次の瞬間、黒い波が迫ってくるのが見えました。「津波だ!」そう言って息子は家の中の母の元へ走り、母を伴ってビニールハウスの姉の元に 走りました。私は犬の首輪を外してビニールハウスへと走るも、もう波が押し寄せてきて、作業場の階段に登るのが精一杯でした。

 息子と母がハウスに駆けつけたとき、水は腰丈ほどで、息子は両腕に母と姉を抱き、必死で救助しようとしました。が、強い波が襲いかかり、一瞬にして母も 姉も息子の腕から引き剥がされるように波にさらわれ、息子自身も流れていってしまったそうです。私は作業場の階段で三人に起こった惨状を知らずに、「隆 太!ばあちゃん!まゆちゃん!」と叫びました。何度、名前を呼んだことでしょう。呼んでも呼んでも応える声はなく、潮水に浸った体に雪が吹き付け、身も心 も凍えるなか、ただ三人の名前を呼び続けました。私の目の前には瓦礫がどんどん押し流され、積もっていました。いつしか暗黒の闇となり、気力も果て自分も 滅してしまいそうな時、息子の声が聞こえました。息子はビニールハウスを突き破りながら流され、気がついた時は隣の家のビニールハウスのパイプにつかまっ ていたそうです。その後、私を心配し、瓦礫をかき分け水の中を泳いで私の元に来てくれました。息子は助かりました。でも、朝になっても、母と姉は帰って来 ませんでした。

 

 それから14日経ち、姉の遺体が、ついで母の遺体が見つかりました。家は瓦礫と泥に埋もれ、畑もハウスも流され、まわり一面瓦礫に覆われていました。海岸から2キロのわが家の庭まで、漁船が流されて来ており、信じられない光景でありました。

 

 絶望と悲しすぎる現実に震えながらお寺に行くと、境内の墓石は悉く倒れ、鐘楼堂は無残にも倒壊した姿を呈していました。私は体の力が抜け、夫に体を支え てもらいながら、うつろな状態で二人の報告をさせていただきました。すべてがグッチャリと潰れたような絶望感だけが漂っていました。

 しかし、葬儀の打ち合わせや二人の遺骨に会いにお寺に参るたびに、少しずつ気持ちが収まってきました。私は手を合わせることで、畑に立つ母の姿や仏壇に手を合わせる母のすがたを、まゆちゃんの笑顔を、胸に呼び起こすことができるようになりました。

 また、ご住職をはじめ、多くの方に、物資面・精神面において、細やかな支援をいただきました。お寺に行くたびに、今までに感じたことのない安堵感を感じました。お寺があってよかった!ほんとによかった!そう心から思いました。

 

 無残な姿を呈していた境内も、お参りに行く度ごとに片付けられ、再生・復興に対する気持ちを感じられたことも、私の心を励ましてくれました。津波の中を 生抜いた息子は、この夏の高校総体の重量挙げにおいて宮城県代表として出場し、私たち家族に勇気と力を与えてくれました。

 

 ご住職から、境内の瓦礫の撤去には、本山からのボランティアの方が支援をして下さった、と伺いました。ボランティアセンターの活動は被災当時から今日に 至るまで、不休の体制でたゆまなく被災者の生活と心をサポートしてくださいました。本当にありがとうございました。また、お寺を通じて私どもに届けられた ご本尊や支援物資なども、ご本山をはじめとする全国各地の真宗寺院・ご門徒のみなさまから寄せられたものであったと伺い、人の心の温かさやつながりのあり がたさに、胸が熱くなりました。絶望の中で出会った人々のぬくもり・狭い仮の住まいにご本尊をお迎えできた喜びは、決して忘れることができません。この度 の震災で多くの大切な人や財産を失いましたが、有り難きことや尊いものにも沢山気づかせていただきました。

 

 我が家のあった沿岸部の瓦礫は少しずつ片付きはじめています。しかし、依然として収束のめどのつかない福島第一原発事故の問題もあり、まだまだ心の整理 が一区切りもつかない方々が多くいらっしゃいます。先行きに不安を抱え歩んでおられる方のご苦労に、気持ちを寄り添い、共に泣き・共に喜ぶ真宗門徒とし て、お念仏の日々を送りたいと思っております。

 

 時間は巻き戻せません。悲しみも避けては通れません。しかし、私達は悲しみの中でも生き抜く力をいただいております。泣きながらでも、手を合わせ生きていく力があることを実感しています。

 

 最後に、念仏者として、頂いたいのちを慈しみ、日々の営みに感謝し、復興に向けて歩んでいくことを誓うとともに、各方面からの多大なるご支援に御礼申し上げ、追悼のことばとさせていただきます。

 ありがとうございました。

 

 平成23年9月6日    宮城県名取市 明観寺門徒 引地晴美